めまい

ときどき、現代の技術の進歩やそれがもたらした生活の変化について考えて、ちょっとめまいがすることがある。こんなに便利になっていいものだろうかと。

 

携帯電話というものは、自分が大学生になるまでは一般的ではなかった。ポケットベルを使う人がようやく増えてきたぐらいだった。電子メールなんかもちろんない。せいぜいが留守番電話にメッセージを残すくらいだ。あの頃は、どこかで待ち合わせをするのも大変だった。決めた時間に遅れそうになってもそれを相手に伝える手段がなくて、だから大抵の人は時間をきっちり守れるよう努力していたように思う。それでもすれ違いになることもたまにあって、テレビドラマや映画ではそういったシーンがストーリー上よく使われていたりした。雑誌には、「文通コーナー」があった。手紙のやり取りをして、お互いが日々思うことや共通の趣味などを伝え合うのだ。始めるには、文通相手を募集している人の連絡先(住所が載っている)に手紙を送ればいい。

 

あの頃から、感覚としてはそんなに時間がたっていないように思う。しかし世界はすっかり変わってしまった。ほとんどの人が自分の電話機を持っている。番号さえ知っていれば24時間誰とでも連絡が取れるし、逆に言えばいつどこにいてもいきなり電話がかかってくる。そのときの自分の都合には関係なく。電子メールもやってくる。こちらは一斉送信もできるから、一度にたくさんの人と連絡を取ることができる。またインターネットのブラウザを開けば、一歩も動かないで世界中の情報にアクセスすることができるし、買い物もできるし、旅行の予約もできる。

携帯電話がスマートフォンにとってかわられると、変化はさらに大きくなった。SNSでほかの人と24時間つながっていられる。出来事やつぶやきをアップロードすれば何らかの反応がリアルタイムであって、それに返事をしたりと皆いそがしい。

ここまで書いたことは、あくまで変化の一部分だ。機器やサービスを使いこなせていない俺には、そのすべてを書くことがとうていできない。時代に取り残されてしまったという疲れを感じる。こんな俺でも明日の朝になれば会社に行ってPCの電源を入れ、メールで他の部署や支店で勤務する同僚とメールでやり取りして業務に取り組み、昼休みにはスマートフォンで明日の天気や話題のニュースを見たりしているが、これもいつまで続けられるだろうかと思う。

少しくらいなら、時間が巻き戻ってもかまわないような気がふっとするのは俺だけなのだろうか。

 

まとまりのない記事になった。また、書き直すことがあるかもしれない。